日本語教育と英語教育
最近、日本語だけでなく、日本の児童に対する教育にも踏み出そうと、いろいろ調べています。
私の教師人生は大学生のときに始まりました。小中学生を対象にした学習塾で英語講師として勤務していました。そのときの経験が、実は今にかなり役立っていることを感じていましたが、それが「どんなものか」や「なぜか」についてはあまり考えませんでした。
ところが最近、私の中の視点が教育全般に向いたことで、視野が広がったのでしょうか、自然と考えをめぐらすようになりましたので、簡単にまとめたいと思います。
英語教育はよく考えられている
国際社会の中で英語ができることで活躍の幅が広がるということから、日本では、いまや小学校でも英語の学習についてよく話されています。様々な教材が本屋に立ち並び、電車の中刷り広告では様々なスクールを入れ替わり立ち目にします。最近ではインターネットでも安価で英会話をすることができ(私も利用者のひとりです)、英語の仕方は本当に多いですね。
本やスクールのウェブサイトを見ると、どれも本当によく考えられていると思います。日本語教育でも多くの研究がなされ、新しい学習方法や教授方法が日々更新されています。
その両方がもし使えるなら、日本語教師として(もちろん英語教師も)材料がもの凄く増えて、ウハウハになるのでは!と思い、検索してみると、、、
やっぱり前から考えられていた
興味深いことに1975年には既に「外国語としての日本語教育」を「英語教育との共通点と相違点」という副題で考察されていました(1985岡)。
その論文では
英語教育と、比較すると対象となる言語(target language)こそ違うものの、外国語教育という大きな視点から見た場合、特に、教授法において共通点がかなり多い。その基本的な教授原理は、外国語教育としての普遍性があり、対象言語が異なっても適用が可能である。
と書かれていました。
いけそうです。
そう考えると、現在、日本語教育ではオートノミーやアクティブラーニングなどが注目されていますが、これは英語にも言えることで、事実フィンランドでは既に外国語としての英語教育にふんだんに盛り込まれています。
「外国語」は根本いっしょ!
つまり、言語は違えど、ある言語を外国語として学ぶ際、ある種共通するなんらかの脳の働きがあるのではないかと思います(このあたりは言語学を掘り下げる必要がありますが、それは別の機会にします)。
また更にいうと、私はその「なんらかの働き」は人によって違うと思っています。Aさんがうまくいったからといって、同じ方法がBさんに通用するとは限りらないということです。
だからこそ、教師として、双方の研究には目を向けておくべきだろうと最近感じました。引きだしの多い教師にならなければ!!自省です。
本屋に行った時に立ち寄るコーナーがまた増えそうです。
参考文献
岡秀夫,1975『外国語としての日本語教育-英語教育との共通点と相違点-』,中国地区英語教育学会研究紀要 5 巻, pp19